東京高等裁判所 昭和29年(行ナ)29号 判決 1955年3月29日
原告 株式会社エスヤ
被告 特許庁長官
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一請求の趣旨
原告訴訟代理人は、「昭和二十八年抗告審判第六四一号事件について、特許庁が昭和二十九年三月三十一日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求めると申し立てた。
第二請求の原因
原告訴訟代理人は、請求の原因として、次のように述べた。
一、訴外矢吹久は昭和二十八年一月十二日、別紙記載のように、「Esuya」の文字を筆記体風に横書にし、「E」の下端部を直線で横に引き、全体の文字に接触するように構成されている商標について、第七類風呂釜、焜炉、厨炉、暖炉、アイロン、温水罐、浴槽を指定商品とし、昭和二十七年商標登録願第一六六九六号商標の連合商標として、その登録を出願したところ、(昭和二十八年商標登録願第六九七号事件)拒絶査定を受けたので昭和二十八年四月二十八日右査定に対し抗告審判を請求した(昭和二十八年抗告審判第六四一号事件)。その後、原告は昭和二十九年三月五日矢吹久から右出願によつて生じた権利を、その営業と共に譲り受けたので、右手続を承継したが、特許庁は、昭和二十九年三月三十一日原告の抗告審判請求は成り立たない旨の審決をなし、審決書の謄本は、同年四月十日原告に送達された。
二、審決は、登録第四三八一七号商標を引用し、右商標は、弓矢の矢筈を下方に縦に画き、その中間部に、ローマ字体の「S」の欧文字を重合せしめたものの中央部左側に「Trade」、右側に「Mark」の欧文字を附記的に小さく横書にして構成されておるものであるから、その外観においては原告の本件商標と互に類似しないが、称呼及び観念から見ると、原告の本件商標は「エスヤ」と称呼観念され、右引用登録商標も、「エスヤ」とも称呼、観念されるものであるから、両商標は類似といわなければならない。そして右引用登録商標は、旧第七類金属製クリツプその他他類に属しない金属製品一切を、その指定商品とするものであるから、原告の商標の指定商品とは、互に牴触し、原告の商標は、結局商標法第二条第一項第九号により、登録を拒否すべきものであるとしている。
三、しかしながら右の審決は、次の点において違法であつて取り消されなければならない。
(一) 審決は商標の類否決定にあたり、実験則に反した違法があると共に、不当に法を適用したものである。すなわち、引用登録商標は、「S」の文字の上方から、弓矢の矢筈を下方に縦に貫いたものであるから、後に説明するように、「エスアタリヤ」との自然称呼を生じ、観念も「S」に矢の当つた意義を有し、「エスヤ」の称呼、観念を生ずるものではない。審決が『「ヱスヤ」とも称呼し』といつていることは、本来「ヱスヤ」でないことを表現したものである。
商標法第二条第一項第九号にいう類似すなわち称呼及び観念の類似は取引の実際における実験則に照らし、商標構成上当然無理なく生ずる称呼と観念、すなわち自然称呼は観念の類似をいい、引用登録商標の称呼及び観念を、取引の実際における実験則に従つて確定するときは「ヱスアタリヤ」を自然称呼とし、「S」に矢の当つた意義となる。してみれば、これと原告の本件商標「Esuya」における「ヱスヤ」の自然称呼と観念とは、全然類似するものでないことは明白である。
(二) 原告は、特許庁において、菱の輪廓内に円の図形を画き、その内方に「S」の欧文字を書き、円形及び「S」の欧文字を矢にて横に貫いて構成されている商標が、登録第三五五九五一号を以つて、昭和十八年一月十四日文房具を指定商品として登録された後において、「Esuya」の文字商標が登録第四一八五九二号を以て、同じく文房具を指定商品として登録され、これと連合して「ヱスヤ」の文字商標が、登録第四一八五九三号を以て、同じく文房具を指定商品として登録された事例を引用して、意見書を作成提出した。最近の審査において、菱や円形その他輪廓は何等の意義を有しないものとし、商標類否の判定から除外されている現在にあつて、右三つの商標が、同一商品を指定商品として、各独立して登録された所以は、第一の商標は審決における引用の登録第四三八一七号商標と同様に「ヱスアタリヤ」の自然称呼を有し、かつ「S」に矢の当つた観念を生ずるに反し、第二、第三の商標は、「ヱスヤ」の自然称呼と観念とを有するものとして登録されたものと解するより外はない。すなわち原告の本件商標は、「ヱスヤ」を自然称呼とし、観念されるに反し、引用商標は、「ヱスアタリヤ」を自然称呼とし、「S」に矢の当つた観念を有するものであるから、原告の商標は引用商標に関係なく登録されなければならない。
(三) 若し原告の本件商標が登録されることなく拒絶されるにおいては、憲法第十四条に「すべて国民は法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により政治的、経済的又は社会的関係において差別されない。」との規定に反する。すなわち、前項に述べた第一の登録商標は、「S」の文字を矢にて横に貫いた商標で、本件における引用登録商標は矢の貫き方が縦である点において微差があるに過ぎず、他は全く同一である。かゝる第一の登録商標が存在するにかゝわらず、本件の出願商標と全く同一の第二の商標が、同一の指定商品について、各別人に登録され、原告の本件出願が、登録されないときは、原告は前記憲法第十四条の規定に反し差別されることゝなり、到底忍び得ないところである。
原告は特許庁において、この点を強調したのに対し、審決は、「なお抗告審判請求人は、登録第三五五九五一号(前記第一の商標)、同第四一八五九三号(前記第三の商標)商標の既登録例をあげて主張するところがあるが、これは本件の審決をなすについての基準となすことを得ないものであるからその主張を採用しない。」としたのみで、何故採用しないかそのよつて来る理由を示さないことは理由不備であると共に、審理不尽の違法があるものである。けだし登録商標は対世的であつて、公信力大であるとともに、商取引の安全を維持する公益的なものであることは、商標法第二十二条第二項の規定によつても明白であり、これら登録商標の集大積である登録例は登録の基準となるもので、特別の事情のない限り、既登録例は判例のように重要視され漫りに無視されないものである。ことに前記第二、第三の商標は、極く最近昭和二十八年中に登録されたもので、本件の商標との間において、これが取扱を異にしなければならない特別の事情が存在しないのにかかわらず、審決はこの特別事情のあることを示すことなく、漫然と前述のように述べ、右の主張を採用しなかつたことは、憲法の規定に反し、かつ重要な争点に対し審決を与えない違法があるもので取消を免れない。
(四) 前述の主張に対し、審決は、第一と第二の商標との関係と、これと同一である本件商標と引用登録商標との関係とを、商標上平等であるか正当の原理に立脚して審理し、かつ法の下に平等であるか否かの判断をしなければならない。しかるに、審決が前述のように述べて、原告の主張を排斥したことは憲法第十四条の規定を誤つた重大な違法があり、審決は取り消されなければならない。
(五) 更に原告は特許庁において、引用商標の権利者は日本で営業を営んでいないこと及び指定商品「クリツブ」は第七類に属していないことを主張した。従つて本件の商標と引用商標とは、取引の実際において商品の混同誤認の虞れの全然ないもので、およそ商標が類似するかどうかは取引の実際における経験則に照らし、混同誤認の虞れありや否やを以て、その基準となすべきものであるから、この点からしても両者は類似しないものである。
また原告は銀座に店舖を有し業界で著名なものであり、本件の商標は、原告において莫大な費用を投じ、日本の著名新聞に、数回ないし数十回にわたり広告し、取引者又は需要者間に広く認識させ、「ヱスヤ」といえば、石油コンロ、石油ストーブ、瓦斯コンロ、瓦斯ストーブを連想される程度に著名商標となつている。しかるにこれら広告に対し、未だ曽つて引用登録商標の商標権者から、何等商標権侵害の通知もなく、また取引上彼此混同誤認されたこともない。このことは、両商標が類似しない証拠である。
なお引用登録商標は、明治四十二年法律第二十五号の施行当時に出願登録されたもので、これにいわゆる「他類に属しない金属製品」は、鋳物、打物、彫鏤、編物であつて、クリツプは、この類別に属しない。また引用商標は、日本において使用された事実なく、原簿上登録されているにしても、商品を異にし、毫も類似するところがない。
第三被告の答弁
被告代理人は、主文同旨の判決を求め、原告主張の請求原因に対し、次のように答えた。
一、原告主張の請求原因一及び二の事実は、これを認める。
二、同三の主張は、これを争う。
(一) 原告の本件出願商標から「ヱスヤ」の称呼及び観念を生ずることは明らかであり、引用登録商標からは、原告の主張するように「ヱスアタリヤ」の称呼及び観念は生ぜず、「ヱスヤ」の自然称呼及び観念を生ずることは、迅速を尊ぶ取引界の実情に徴し明らかである。従つて両商標は互に類似し、原審決には何等法の適用において不当なところはない。
(二) 原告は、引用登録商標の権利者は日本国内で営業していないと主張するが、本件が取消審判ならば格別、かゝる事実は商標法第二条第一項第九号の商標の類否の判定には何等の影響を及ぼすものではない。また原告が業界において著名であるとしても、右商標類否の判定には何等影響を及ぼすものではない。
なお原告は引用登録商標の指定商品のうち「クリツプ」は第七類に属しないと主張するが、「金属製クリツプ」は第七類に所属するばかりでなく、右指定商品は、「クリツプ」のほか、第七類他類に属しない金属製品一切を包含しているものであるから、両商標は、その指定商品において牴触するものである。
第四証拠<省略>
理由
一、原告請求原因一及び二の主張事実は、当事者間に争がない。
二、右当事者間に争のない事実及びその成立に争のない甲第一号証、甲第二号証の二、甲第六号証、を綜合すれば、原告の本件出願商標は、別紙記載のように、「Esuya」の欧文字を筆記体風に横書にし、「E」の文字の下端部を直線で右に延ばし、「suya」の文字が、この上に並ぶように構成されており、第七類風呂釜、焜炉、厨炉、暖炉、アイロン、温水罐、浴槽を指定商品とするものであること、及び審決に引用された登録商標は、別紙目録記載のように「S」の文字を中心とし、これの上部から下部に向けて矢が縦に貫き、矢と十字形をなすように、「S」の文字の左と右に、それぞれ「Trade」「Mark」の欧文字が横書に分けて記載されて構成されており、旧第七類金属製クリツプその他他類に属しない金属製品一切を指定商品とし、明治四十三年十二月十四日登録、昭和二十五年十一月二十二日第二回の存続期間更新登録がなされたものであることを認めることができる。
三、よつて右両商標が、審決のいうように、類似するものであるかどうかを判断するに、原告の出願商標からは「ヱスヤ」の称呼が生ずるのは疑なく、引用登録商標は、前述の構成から、なるほど原告代理人の主張するように、「S」の文字に矢が当つているものと解し、「ヱスアタリヤ」の称呼の生ずることも考えられないではないが、商取引の実際から見て、単に「ヱスヤ」と指称され、取引されることが自然であり、かつ一番多いものと解せられる。
原告は、登録第三五五九五一号、第四一八五九二号、第四一八五九三号商標の登録例を引いて、本件における引用登録商標からは、「ヱスアタリヤ」の自然称呼が生じ、「ヱスヤ」の称呼は生じないと主張するが、右三つの商標が併存登録されたことが、当然に本件引用登録商標が「ヱスヤ」の称呼を生ずるものとの前述の認定を覆えすものではない。
次いで引用登録商標における指定商品は、前述のように旧第七類金属製クリツプその他他類に属しない金属製品一切を含むものであるから、原告の出願にかかる商標の指定商品の大部分は、いわゆる「他類に属しない金属製品」として、これと互に牴触するものといわなければならない。
原告は、引用登録商標の指定商品のうちクリツプは旧第七類のうちに含まれず、これが商標主は日本において営業を行わない、原告の商標は、その指定商品について著名となつていると主張するが、本件において、指定商品の牴触を見るのは、むしろクリツプ以外の指定商品であることは前述するところであり、またその他の右の主張は、商標法第二条第一項第九号について、商標の類似するかどうかを判定するには関係のない事項と解せられるから、右の主張は採用することができない。
してみれば、原告の商標は、同号にいう「他人の登録商標と同一又は類似にして、同一又は類似の商品に使用するもの」に該当し、審決が、同規定を引いて、これが登録を拒絶すべきものとなしたのは相当であるといわなければならない。
四、原告代理人は、前述の三つの商標が同一の商品文房具に併立登録された登録例をあげ、登録例は特別の事情がない限り、判例のように重要視されなければならないのにかゝわらず、審決が、これと殆んど同一の関係にある引用登録商標により原告の商標登録を拒絶するについて、何等特別の事情のあることを示さないのは、判断を遺脱しているばかりでなく、かゝる差別は憲法第十四条の規定に違反し違法であると主張する。登録例が、商標の類否判定の基準を知る等の上に、実務上重要な役割を果していることは、これを認めるにちゆうちよしないが、一々登録例が法律上はもちろん事実上においても、必ずしも後の判断の基準としなければならないものばかりでなく、また本件にあつては、審決は、出願にかゝる原告の商標と引用の登録商標との関係について、登録拒否の理由を示せば足りるものと解せられるから、他の既登録例との関係において、いわゆる特別の事情を説明しなかつたとしても、重要な事項についての判断を遺脱したものとはいわれない。またよし同一の二つの登録出願について、相異なる査定、審決がなされたとしても、たゞその事実だけで、憲法第十四条に違反し、法律上不当な差別がなされたものとは解されないばかりでなく、その成立に争のない甲第七号証によれば、原告の引用する登録第三五五九五一号商標は、「S」の文字を丸で囲み、その外側に菱印の輪廓を付し、右輪廓内を左から右に矢が右<S>を横に貫いている図形で構成された商標であることが認められ、本件における引用登録商標第四三八一七号とは、相違するものであるから、この点に関する原告の主張は、これを採用することができない。
五、以上の理由により、審決には原告の主張するような違法な点はなく、原告の本件請求はその理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のように判決した。
(裁判官 小堀保 原増司 高井常太郎)
(別紙)<省略>
登録第四三八一七号商標<省略>